社長メッセージMessage
SDGsを雰囲気で受け入れない!
~「本当に必要か?」をしっかりと腹落ちさせる~
「SDGsは『大衆のアヘン』である」
衝撃的な言葉に始まる最近人気の書籍「人新世の『資本論』」を読みました。
その結果、私は著者がSDGs自体を否定しているわけではなく、「SDGsを実践しているから自分は環境に貢献している」と思考停止になることに警鐘を鳴らしているのだと理解しました。
そして、「今世界が目指そうとしているのは結局『資源をむさぼる成長志向』」であり、その根源である「資本主義」を捨てて「『脱成長』の市民主導型社会を目指そう」と主張されるものでした(あくまでも私の解釈です)。
最近は以前にもまして「SDGs」の言葉を見聞きすることが増えてきました。
テレビや書籍などメディアで、その言葉を見ない日がないほどです。
私自身もSDGsの普及に関わる立場としてうれしい半面、少し不安を覚えます。
日本では過去(2000年代)にも「エコ・ブーム」が起き、企業による環境ビジネスや行政・市民による社会活動、加えて規格や認証、資格などのビジネスが活況を呈しましたが、結局定着しなかったからです。
また、前述のような加熱傾向の一方でSDGsに関するSNSの投稿や広告に批判的なレビューがついていることも多くなりました。
「SDGs=よいこと」と無抵抗で受け入れるのではなく、「本当にそうか?」「なぜ必要か?」「どう行動すべきか?」といった批判的な(クリティカルな)視点で自分自身が一旦考えて腹落ちさせることが必要ではないかと感じています。
私自身も上記のことや昨年に続いて「巣ごもりGW」となったことも受けて、じっくりと考えてみました。
その上で「SDGsの目指す世界に賛同し、自分にできることを着実に行動する」ことにしたいと思います。
その理由(あくまでも私自身が考え、腹落ちさせた理由です!)は以下3点です。
(1)予測不能な社会情勢では「普遍的に世界共通で目指す価値観」が必要だから
新型コロナ影響で突然激変した世界情勢は感染が収まっても依然リスクは残ります。
他方、以前から世界が予測不能になる「VUCA」な状態だといわれてきました。
そんな混とんとした社会だからこそ「変わらず追い続けられる価値観の軸」が必要です。
国連の加盟193カ国全てが賛同し、「持続可能で人が『よりよく(Well-being)生きられる』世界」を目指すSDGsの価値観は今だからこそ一層大切になってくると考えました。
(2)「脱成長」ではなく、「心の成長」で「持続可能な成長」は可能と思うから
「エコ・ブーム」の時代から言われてきたことですが、物質・貨幣的な経済成長(規模を競う世界)では人はいずれ疲弊し、環境破壊も進みます。
「全世界、全人類が高速で高機能なインフラが必要か?」というと、そうではありません。
「多様な生き方が尊重され、個人がそれを選択できる」ことが大切であり、「今日より明日は『よりよく生きられる』」という希望(心の成長)が人には必要だと考えます。
「脱成長」ではこの点が満たされず「生きようとする意思」に火がつかないと感じました。
その意味ではSDGsの本質を見極めて行動しなければいけませんね。
(3)「資本主義か社会主義か」よりも「誰/何のために行動するか」が大切だから
イデオロギーや国家体制の対立で世界情勢が不安定になったり、環境問題で資本主義が批判されたりしています。
前述の書籍を読んだ後、自分の中で迷いもあったのですが、渋沢栄一の「論語と算盤」を目にして気づきました。
「『誰が』『どんな手法で』行動するか」よりも大切なのは「『誰/何のための』行動か」だと。
SDGsは「5つのP」と呼ばれ、「人(People)、繁栄(Prosperity)、地球(Planet)、平和(Peace)、協働(Partnership)」のために行動する目標となっています。
ちなみに上記の「繁栄」という言葉が前述の経済成長と混同されるので、私は「社会」と言っています(Pでそろわなくなるのですが・・・)。
これからも迷いが生じることはあるかもしれませんが、しっかりと自分で考えて腹落ちした目標へ向かって行動していきたいと思います。